創立25周年記念事業

創立25周年記念事業「RUNNER~走る走る老い達~」

【RUNNER~走る走る老い達~】

1.第7回サンスポ古河はなももマラソン
~あわやリタイヤか~

 今シーズン3回目のフルマラソンは、3月10日(日)に茨城県古河市で開催された「第7回サンスポ古河はなももマラソン」へ出場しました。 今度こそ自己記録を更新しようと、レース3日前から食事量を増やしてカーボローディングにより後半のエネルギー不足に備え、レースの6日前を最後に飲みに出るのを控えて、万全の体制でレースに臨みました。気温も10~12℃と予想されており、防寒のためのタイツも不要で、圧迫による脹ら脛の痛みも心配する必要もなく、好記録が狙える条件が整っていました。 レース前日、12時55分萩・石見空港発ANA576便で羽田空港へ到着し、京浜急行航空線・快特印旛日本医大行きに乗って新橋でJR宇都宮線直通小金井行快速アクティーに乗り、夕方17時前には古河駅へ到着する予定でした。ところが、快足アクティーが上野駅で停車してしまいました。人身事故によるものでした。このため電車の中で1時間待たされ、古河駅に着いたときには辺りは暗くなったいました。そして、夕暮れの中をその日の宿泊先であるHotel Sansuiの方へ歩いて行くと、駅近くの広場で「古河はなももマラソン前夜祭 愛L♡VE古河フェスタ2019」をやっていました。その中へ入っていくと、舞台の上では何とフラダンスが踊られていました。古河市とフラダンスと、どういう関係にあるのか良く分かりませんが、兎にも角にも、マラソンとは無縁の前夜祭が繰り広げられていました。しかし、遠方より参加したランナーをもてなそうという気持ちだけは感じられました。
前夜祭の会場を出ると、地図を片手にホテルに向かいましたが、道に迷ってしまいました。そこで、スマホを取り出し、ホテルを検索して道案内をして貰い、漸くホテルに辿り着きました。ホテルは意外と立派で、中には雛人形が飾られていたりしました。チェックインして部屋に荷物を置くと、ジョギングに出掛けました。駅の方へ向かって走って行きましたが、近くにコンビニはありません。ホテルの朝食は7時からであり、スタート時刻は10時なので、スタート3時間前までに朝食を済ませるには少し間に合いません。そんなことを考えながら駅近くの前夜祭会場の辺りを走り、予定通り2kmを走り終えました。通常なら途中のコンビニによって弁当を買い、ホテルに戻るのですが、この日はホテルの近くにコンビニもないため、外食することにしました。駅の近くを探しましたが、駅のショッピングセンターにある食堂は混んでいました。そこで、少し離れた場所にある中華料理店に入り、ラーメンとチャーハンのセットを注文しようとしました。しかし、メニューを見ていると、ラーメンと半カレーのセットがありましたので、そちらにしました。公務員ランナー川内優輝が試合前には必ずカレーを食べるというのを真似ることにしたからです。この店もかなり混んでおり、半カレーセットが出て来るまでに、相当の時間がありましたので、その間にホテルに電話して、朝食時間を再確認したところ、通常は7時からだが、明日はマラソン大会の日なので特別に6時半から食べられるとのことでした。鹿児島のいぶすき菜の花マラソンでもホテルがマラソン参加者のために朝5時位から簡単な朝食を用意してくれていましたが、ここ古河市でも市民全員でマラソン大会を応援してくれているようです。半カレーセットを待つ間に翌朝の食事をホテルに注文するなどして時間を潰し、漸く運ばれてきた遅めの夕食を食べました。その後、中華料理店の近くのファミリーマートでカップヌードルと飲み物を買い、ホテルに戻りました。カップヌードルの内1個はカレーであり、これも川内優輝のカレーを真似たものです。そして、入浴後、読書をして時間を潰し、就寝前にカップヌードルを食べてから、22時に床に就きました。
翌朝6時に目を覚ますと6時半丁度に朝食会場へ入り、和食の朝食を食べました。会場には私と同じような服装の、明らかにマラソン大会へ出場すると分かるランナーが何人か食事をしていました。これからフルマラソンを走るには少し御飯の量が少なかったので、お代わりをしようかどうかと考えていると、他のランナーも同じように考えたのか、お代わりを注文していましたので、これに力を得て私も御飯のお代わりを頼みました。食事を終えると部屋に戻り、カップヌードルを食べて、レース前のカーボローディングを終えました。フルマラソンのスタートは10時でしたので、1時間前には会場に着きたいと思い8時頃にホテルを出発しました。フロントでチャックアウトする際に、ホテルのスタッフから激励され、このマラソン大会を応援しようという古河市民の気持ちが感じられ、力走へ向けての気持ちを高めながら、古河駅へ向かいしました。
古河駅ではコインロッカーに荷物を預けてからシャトルバスに乗る積もりでしたが、コインロッカーにコインの入口に100円玉が詰まって使えなくなりました。そこでコインロッカーの会社に電話しようとしていると、若い女性が私が使用しようとしているコインロッカーはこれから空くのかと聞いてきたので、コインが詰まって使えないと答えると、詰まっていた100円玉に触って、直してくれました。私は彼女に感謝しましたが、他に空いているコインロッカーはなく、彼女は困っておりました。私は彼女を気の毒には思いましたが、そのままシャトルバスの乗場へ歩いて行きました。西口駅前には大会スタッフがいてシャトルバス乗場を尋ねると、南の方だと教えてくれました。そちらへ歩いて行くと、私は駅前からバスに乗れると思っていたのですが、そうではなく駅前から少し離れた場所から乗るようでした。その方向へ向かってシャトルバスに乗ろうとするランナー達の列ができており、その方角には線路沿いの細い道が延々と続いており、シャトルバス乗場は駅から相当離れた場所にありそうでした。約300m歩くと県道250号線に出ましたので、そこでバスに乗れるのかと思うと、意に反してシャトルバスへと歩くランナーの群れは道路を横切って更に先へ歩いて行きます。それから更に約500m歩いて漸くシャトルバス乗場に到着しました。バスに乗り込むと全員が着席することができました。いぶすき菜の花マラソンの時はバス料金を取られるにも係わらず、指宿駅から会場までずっと立ったままだったのですが、この大会はバスが無料である上に、全員が座れるだけのバスを確保しているようでした。バスはどこをどう走ったのかは分かりませんが、概ね南東の方角へ約5km程走り、9時頃に会場の古河市中央運動公園へ到着しました。
開会式は8時30分から始まっていましたが、そちらはいつものように無視して、参加賞を受け取ると荷物を置いてジョギングをしました。ゼッケンと計測用タグは事前送付だったので、ホテルで取り付けてから会場へ来ました。準備運動を終え、スタートを待っていると、聞き覚えのある少し甲高い声が聞こえてきました。ゲストランナーの千葉真子さんの声でした。千葉真子さんは、2003年パリ世界陸上マラソンの銅メダリストですが、それ以上に1997年アテネ世界陸上の10000mでも銅メダルを獲得している偉大なランナーです。世界陸上のマラソンでのメダリストは彼女を含めて10人いますが、トラック競技でのメダリストは彼女だけです。オリンピックを含めてもトラック競技での女性メダリストは1928年のアムステルダムオリンピック中距離800m銀メダルの人見絹枝さん依頼で、長距離では彼女が唯一のメダリストです。マラソンでも彼女は歴代5位の2時間21分45秒で走っていますが、彼女の偉大さはマラソンよりも10000mでの活躍だと思っております。私は、日本の女子長距離界の三大女神はマラソンの高橋尚子さん、野口みずきさんと10000mの千葉真子さんだと考えています。そんな彼女がゲストランナーということなので、何としても彼女の手に触れたいと思いスタートは左端に並ぼうかなどと考えていました。
スタート30分前にジャージを脱いでランニングパンツとシャツだけになり、それからトイレを探しました。漸く探し当てると長蛇の列で、スタート時刻までに順番が来るかどうか微妙な状況でした。しかし、約12,000人ものランナーがエントリーしており、私のスタート順は予想タイム順にA~Tの20ランクに分けられたグループの17番目のQでしたので、スタートまでに10分以上かかることが予想されておりましたので、それまでには終わるだろうと楽観していました。そして、実際にはスタート2分前位にトイレを終え、Qグループの待機位置はトイレの直ぐ近くでしたので、何事もなく普通にスタートすることができました。それからスタート時刻の10時となり、最前列のAグループから順次スタートラインを越えて行きました。私達Qグループもスタートラインを目指して走り始めましたが、私はスタート前に無用なエネルギーを消費したくなかったので、歩いてスタートラインを目指しました。そして、スタート時に千葉真子さんとハイタッチしようと左端を歩きましたが、彼女はランナーの直ぐ側にはいませんでしたので、計画は不発に終わり、10時6分23秒にスタートラインを越え、走り始めました。 この大会のコースは中央運動公園陸上競技場を出て北へ約1km走り、十間道路に突き当たって西へ走って古河第一高校を半周回るようにして約5kmで折返し、今度は十間道路を東へ走って約14kmで折返し、約17kmで南へ折れて国道4号線古河小山バイパスを過ぎて約18kmで左折して東へ走り、中間点辺りで左折して北上し健康ふれあいセンター近くで折返し、再び中間点まで戻って東へ走り、約25kmの県道126号線との交差点で折り返して西へ戻り、中間点辺りで北上した交差点を左折して今度は南下し、県道126号線との交差点で折り返して中間点まで戻り、左折して再び十間道路まで戻って、左折して県道190号線との交差点まで西へ戻り、左折して中央小学校入り口交差点まで戻り、右折して中央運動公園へ戻るようになっています。高低差は10m以内の概ね平坦なコースですが、細かなアップダウンはあります。アップダウンが小さいということで、私は今回も自己記録を狙ってエントリーしました。
最近の5レースでは入りの1kmを6分30秒前後で走っていましたが、今回は6分43秒と少しゆっくり目に入りました。しかし、自己記録の平均ペースは6分55秒ですから、このペースでも十分自己記録の更新は可能なペースです。そして、その後も6分44秒、6分45秒とイーブンペースで走りました。その後、3~6kmは6分50秒台まで落ちましたが、6km以降は盛り返し6分40秒台に戻しました。そして、8km地点を過ぎ、最初に中央運動公園から十間道路に出る交差点に近付くと、千葉さんの声が聞こえてきました。今日は気温が高いので、自己記録の更新は狙わず、今日のコンディションで可能なタイムに目標を切り替えるようにと話していました。通常のゲストの単なる励ましとは一味違う、流石に日本女子長距離界の三大女神だと感心しながら、しかしその忠告は無視して自己記録の更新という目標は維持して走りました。そして、今度はスタート時と違い、千葉さんがコースの側に立っているのを発見し、若干のタイムロスにはなりましたが、進路を変更して千葉さんに近付き、ハイタッチしていただきました。
そして、千葉さんの手に触れてからは若干ペースが上がり、9~13kmは6分40秒前後で走りました。コースは概ねフラットではありましたが、細かなアップダウンがあり、登りではペースダウンするのですが、それでも1km7分よりも遅くならないように走り続けました。その後も6分30秒台から50秒台で走り続け、中間点を越えてもペースは衰えず、25kmを越えても何とか6分50秒台で耐える走りを続けました。
しかし、30km手前でアクシデントは起こりました。左足の付け根に痛みを覚え、それが次第に強くなってきました。スピードが急激の落ち、走るのが困難になり、歩き始めました。残りは約12kmになっていましたので、通常の歩行速度時速4kmで歩いても制限時間の後3時間ではゴールに辿り着くことができるので、完走だけに狙いを絞りました。ところが、脚の痛みは強烈で、歩くことさえ困難になってしましました。そして、とうとう歩道と車道を隔てる縁石に腰をかけ、座り込んでしまいました。痛みが消えるのを待ちましたが、回復しそうになく、遂にリタイアを決意し、スタッフの人に声をかけました。しかし、リタイアしたランナーを回収する車は、まだかなり後方を走っており、それを待つ間にスタッフの人がスプレーを取りに行ってくれました。しかし、スプレーは近くにないようで、待っている間に痛みが少し和らぎ、なんとか歩けるようになったので、リタイアをせずに歩いて完走することにしました。私が歩き出すと、スタッフの人が折角なのでスプレーをするようにと言うので、少し待って、ランニングパンツの中にスプレーを入れて、脚の付け根を冷やしてから、歩き出しました。すると、私と同じように歩いている、私よりも年配に見受けられるランナーがいました。見受けられるというのは、私位の歳になると、老け方が人により大きく異なり、私は割と若く見える方なので、自分よりも年上と思っても、実は年下だということがよくあるからです。彼は、途中でエネルギー切れを起こして、歩いているとのことです。暫く歩くと、痛みが少し薄れてきたので、ゆっくりと走り始めました。とは言っても、歩くのと殆ど変わらない程度のスピードです。すると、一緒に歩いていた彼が、私の脚は動いているじゃないかと言うので、脚が痛いだけでエネルギーは残っていますと答えました。そのように話していると、ひょっとしたら走れるかなという気持ちになって、少しスピードを上げ、彼を残して先へ進みました。その結果、31km以降は1km10分前後で走りました。
そうして36km地点位まで来た時、先程の彼がエネルギーが回復したのは、私に追い着いてきました。そこで、私も再度、奮起し、36~37kmを7分18秒で走りましたが、直ぐに失速し、37~40kmは8分10秒強になってしまいました。それでも40kmを過ぎるとラストスパートし、6分33秒、6分20秒で疾走し、ゴールを駆け抜けました。
終わってみればタイムはネットで5時間21分37秒、グロスでも5時間27分59秒と過去16回のフルマラソン中4番目の記録でした。30~31kmが座ったり歩いたりして19分20秒もかかったことや、31~36kmを1km10分前後で走ったことを考えると、脚の痛みさえ起こらなかったら、ひょっとしたら自己記録を更新できていたかも知れません。しかし、脚の痛みのようなアクシデントが起こることは当然に予想されるものであり、比較的好記録を出せたのもリタイアしなかったためであり、最後まで諦めないことの大事さを痛感しました。
この大会は、高低差も少なく走りやすいコースです。そして、地元の皆さんの温かい応援もあり、気持ちの良い大会です。ただ、バス乗場が駅から遠いのが玉に瑕です。 レース終了後はシャトルバスに乗って古河駅へ向かい、バスを降りてからかなり歩いて古河駅に到着しました。それから駅ビルでお土産を買い、その日泊まるホテルのある新宿へ向かいました。その夜は、二男駿と夕食を共にし、翌朝の飛行機で帰宅しました。

《大会会場・古河市中央運動公園(茨城県古河市下大野)で見かけた鳥達》
[スズメ目]〔スズメ科〕
      スズメ 以上1目1科1種


《これまでの通算走行距離》

種 目

回数

距 離 (km)

自 己 記 録

10km

7

70

 

0h54m21s

萩石見空港マラソン

ハーフマラソン

27

569

6325

2h02m37s

武庫川新春ロードレース

フルマラソン

16

675

1200

4h51m48s

大阪・淀川市民マラソン

その他

7

128

9000

 

 

合 計

54

1,442

7525

 

 



2.Road to箱根(6区)
~道を間違え、6区が最長区間に~
往路完走から約1年後の3月23日(土)、復路の山下り5区を走りました。
前日の22日(金)に東京で不動産取引の仕事をした後、先々週の日曜日のフルマラソンを走った古河市の古河公方公園を訪れました。そして、夕方、東北本線、上野東京ライン、東海道本線直通列車で前泊地の小田原へ到着しました。小田原城の周囲を軽くジョギングした後、入浴を済ませ、遅めの夕食に出掛けました。鳥鍋という看板につられて居酒屋へ入りましたが、鍋は2人前からということで、食べることができませんでした。仕方なく他のメニューを注文し、ビールを飲んでホテルへ戻りました。後から考えると、他のメニューは頼まずに鳥鍋だけを注文すれば良かったと後悔しています。 翌朝、6時位に起きると、近所の牛丼屋で大盛を食べてから7時30分頃にホテルを出発しました。小田原駅のコインロッカーに荷物を預け、バックパックを背負って、箱根登山バスの乗場へ向かいました。箱根登山バスという乗場で待っていましたが、なかなか目的地の箱根町港行きのバスは来ません。近くにいた地元の叔父さんに尋ねたところ、箱根町港行きの乗場は別の所だそうです。「箱根登山バス」というのは会社名だったようで、お陰で7時45分発のバスには乗れず、8時5分発のバスに乗って、箱根町港へ向かいました。小田原市内は雨が降っていましたが、天気予報では箱根町は曇りだったので、山を登れば雨は上がるだろうと軽く考えていました。バスには観光客の他、いかにもこれから山に登るぞというスタイルの登山客がかなりいました。箱根山中に入ると所々で霧がでており、視界不良による交通事故や、道に迷う可能性など、今日の6区が簡単にはいきそうもないことが予想されました。
約1時間後の9時7分(雨-1℃)、バスは箱根町港のバスターミナルに到着しました。天気予報が外れ、外は小雨でした。そればかりか、気温は氷点下1℃と、正月3日の本番のレース並の寒さでした。それでも芦ノ湖畔は観光客で一杯で、寒い中、海賊船に乗って観光する人もいましたが、流石にボートを漕ぐ人は見られませんでした。私は暑さに弱いとはいえ、寒さに強い訳ではなく、ランニングシャツとパンツの下に、タイツと長袖のアンダーウェアを着込んでいたとはいえ、耐えがたい寒さです。ジャージを着たまま走ろうかとも思いましたが、どうしても寒ければ途中で着ようとジャージをバックパックに入れて走ることにしました。そして、約1kmのジョギングと準備運動の後、公衆トイレの入口でジャージを脱いで身支度をしました。 雨の中、9時43分、氷点下1℃の中、私の一人箱根駅伝6区がスタートしました。箱根駅伝の6区は、箱根町港の芦ノ湖畔にある箱根駅伝ミュージアムの横を出発し、東海道(国道1号線)を小田原方面へひたすら走るコースです。6区は山下りと呼ばれていますが、最初の約5kmは登りです。正確にはスタートしてから2km弱は平坦で、それから芦ノ湖に別れを告げて4.6km地点の元箱根で国道1号線の最高点(847.5m)に達し、一旦、芦之湯温泉まで下って、再び5.1km地点の芦之湯で847.5mまで登り、それから17.1km地点の函嶺洞門(96.0m)まで一気に下り、最後の3.7kmで約20m登って小田原中継所(115.3m)に到着するという20.8kmのコースです。
最初はほぼ平坦なので1km8分41秒で入りました。続く1~2kmも同じようなスピードで走ったのですが、これから国道1号線の登りが始まる元箱根の交差点を曲がらずに真っ直ぐ進んで国道から逸れてしまい、箱根湖畔荘まで行ってコースアウトに気付いて引き返したため、11分39秒もかかってしまいました。その後の登りは11分前後でゆっくりと走り、国道1号線最高地点では記念写真を撮りました。その後、一旦下った芦之湯では、芦ノ湖方面へ向かうバスから大勢の登山客が降りて来るのに出会いました。私は彼らに紛れてバス停のトイレで用を足しました。 それから再び登って頂点を過ぎると一気に下りに入りました。本番の箱根駅伝ではここから一気にスピードが上がるのですが、一人箱根駅伝では道路を閉鎖しておらず、一般の車が走っていますので、そうは行きません。対向車にぶつからないように道路の端を走り、すれ違うときは思いっきり端の寄ります。歩道があるところでは、歩道の段差やすれ違う歩行者のために、思うようにスピードを上げることはできません。それでも1km7分台までペースが上がり、もう登ることはないので、小田原中継所までは楽勝かと思われました。4月から移転する7.9km地点の恵明学園では記念写真を撮り、快調に山を下って行きました。
更に今年の箱根駅伝直後の1月10日をもって廃業した箱根ホテル小涌園の前まで来ると辺りは霧が出ていました。そして、二の平入口の交差点横の公衆便所に入り用を足した後、悲劇は起こりました。東海道はここで右に曲がるのですが、私は左へ走り出してしまいました。県道723号線に入ってしまったのです。しかし、私はその過ちに気づかず、快調に山を下り続けました。箱根駅伝の6区は5区の裏返しで、私は昨年の3月に5区山登りを経験していましたので、コースは一応、頭に入っていました。その記憶によれば、どうも見慣れない景色が続いていました。箱根登山鉄道の彫刻の森駅は通らない筈でした。流石におかしいと思いながら走り続けると、箱根登山鉄道の強羅駅に辿り着きました。完全にコースを間違えていました。正しいコースに復帰するには、今下って来た道を再び登らなければなりません。どっと疲れが出て、もう止めようかとも思いましたが、一人駅伝の棄権というのは聞いたことがありません。その時、箱根登山鉄道に乗って、小涌谷駅まで行き、そこから二の平まで戻ろうと思い付き、強羅駅の中へ入りましたが、この寒さの中でも観光客は一杯で、電車に乗ろうとする人で長蛇の列ができていました。そこでやむなく、県道723号線を後戻りし、坂を走って登りました。そして、漸く、二の平の公衆便所まで辿り着きました。二の平の交差点や10km弱の地点ですが、強羅駅までの往復で約4km走っていましたので、コースに復帰した時には約14km走っていました。
コースに復帰すると快調に下りました。途中、坂を走って登って来るカップルと擦れ違いました。私の他にも箱根駅伝のコースを実際に走ってみようというランナーは数多くいることが分かります。擦れ違いの際に、まず女性の方が声をかけて来たので、私が声を返し、今度は男性の方が更に声を返してきました。同じ趣味を持つ者同士は、直ぐに心が通い、それが走る楽しみでもあります。 二の平から霧の中の小涌谷の街を過ぎ、6区で唯一の踏切である小涌谷踏切で記念写真を撮り、宮ノ下を過ぎて、大平台のヘアピンカーブで再び記念撮影をしました。下りなので、車に気を付けながらでも1km6~7分台で楽に走りました。そして、そろそろ下りも緩くなって、塔ノ沢の街を過ぎ、有名な函嶺洞門で、また記念撮影をし、箱根湯本の街に入りました。ここは歩道に人が溢れていて、1km9分台に減速を強いられました。人混みをかき分けて走ると、やたらと外国人観光客が多いことが分かりました。そして、早川沿いに流れを下り、道は平坦になっていました。本物の箱根駅伝では下り終わっての残り3kmが登りのように感じる苦しい区間ですが、これまでチンタラとゆっくり走ってきた私には苦痛はなく、1km7分台で走り、小田原市内に戻りました。残りは約1kmです。普段のレースならラストスパートですが、交通量も多く危険なので、歩道を同じペースではしって、小田原中継所へ辿り着きました。ちなみに小田原中継所は、鈴廣蒲鉾本店の「かまぼこの里」の前にあります。
箱根駅伝の6区は20.8kmですが、私は道を間違えたお陰で24.84kmを3時間44分1秒かけて走り切りました。箱根6区の区間記録は、今年、青山学院大学の小野田勇次の出した57分57秒ですが、約4倍の時間をかけて走ったことになります。
走り終わった後は、軽く体操をし、かまぼこの里のトイレで着替えました。そのまま電車に乗るのは気が引けたので、今日、逢うことになっている孫のお土産にキャラクター蒲鉾を買ってから、14時4分(曇り6℃)に風祭駅へ行きました。因みにかまぼこの里と風祭駅は繋がっていました。そして、小田原駅で途中下車して、遅めの昼食にコインロッカーから荷物を取り出して、中野駅へ向かいました。今年、大学を卒業して就職する二男駿の新しいアパートへ立ち寄るためです。そして、夕食を共にした後、津田沼の長男翔の泊まりに行きました。

《復路スタート地点付近(足柄下郡箱根町箱根)で見かけた鳥達》
[カモ目]〔カモ科〕
      カルガモ
[ツル目]〔クイナ科〕
      オオバン
[スズメ目]〔カラス科〕
       ハシブトガラス
〔ヒヨドリ科〕ヒヨドリ
〔ウグイス科〕ウグイス
〔スズメ科〕スズメ
〔セキレイ科〕ハクセキレイ 
以上3目 7科7種


《小田原中継所(小田原市風祭)で見かけた鳥達》
[スズメ目]〔カラス科〕
       ハシブトガラス 

以上1目1科1種

区間 距離 km 年 月 日 自己記録(ペース) 区間記録
1 21.3 2014.03.16 3:21:43(9:28/km) 1:01:06 佐藤悠基(東海大学)
2 23.1 2014.06.21 4:25:00(11:28/km) 1:06:04 M.J.モグス(山梨学院大学)
3 21.4 2015.09.22 4:08:48(11:38/km) 1:01:26 森田歩希(青山学院大学)
4 20.9 2017.09.30 3:20:52(9:37/km) 1:00:54 相沢 晃(東洋大学)
5 20.8 2018.03.31 3:39:48(10:34/km) 1:10:54 浦野雄平(國學院大学)
6 20.8 2019.03.23 3:44:01(10:46/km) 0:57:57 小野田勇次(青山学院大)

 

(平成31年4月26日)

 
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