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〒698-0025 島根県益田市あけぼの西町8番地12

司法書士・行政書士田𠩤良隆事務所

その他の出来事

2020.08.06

コウノトリ
コウノトリ
出雲平野にコウノトリが来ているという新聞記事を目にした私は、平成25年1月、出雲へ出かけました。新聞では斐伊川河口近くの田んぼでマガンやコハクチョウと一緒にいるところを見つけたと報道されています。そこで、斐伊川河口付近の宍道湖西岸なぎさ公園の駐車場へ車を駐め、斐伊川南岸を河口から灘橋まで歩いて見ましたが、マガンやコハクチョウは嫌と言う程いましたが、コウノトリはいません。そこで駐車場まで戻り、車であたりを走り回り、マガンやコハクチョウの群れの中に紛れていないか探しましたが、コウノトリはいません。そして、再び宍道湖西岸なぎさ公園の駐車場へ戻り、カメラや双眼鏡をケースに仕舞い、家路に着こうと、ふと宍道湖湖畔の土手を見るとカメラを持った人がいます。何を写しているのだろうと土手へ上がると宍道湖の岸辺にコウノトリがいました。
コウノトリ(Ciconia boyciana Swinhoe)はコウノトリ目コウノトリ科に属し、以前は兵庫、福井両県で繁殖していましたが、現在では冬鳥として希に日本へ渡来し、水田や湿地で暮らしています。東アジアだけに分布し、総数2千~3千羽しかいない、絶滅危惧種です。主にザリガニ等の甲殻類や蛙、魚類を食べます。樹上に巣を造り、3~5個の卵を産み、約1箇月で卵が孵り、雛は約2箇月で巣立ちする。
欧米ではコウノトリは赤ちゃんを運んで来ると言われていますが、日本で少子化が進行しているのは、コウノトリがいなくなったからかも知れません。

平成25年2月22日


ナベクロヅル
先月(平成24年12月)24日、前日に福岡へ出張した帰り?に鹿児島県出水市のツル観察センターを訪れました。この出水平野へは毎年冬場に1万羽以上のツルが渡来しています。今シーズンは、1月8日現在、ナベヅル10,441羽、マナヅル1,184羽、カナダヅル12羽、クロヅル7羽、ナベクロヅル1羽、ソデグロヅル1羽だそうです。このツルの数は近くの小学生が数えているそうです。その11,646羽中のたった1羽のソデグロヅルが偶然にもツル観察センターからよく見える場所にやって来ており、私はそれを目にすることができました。大変ラッキーでした。
ソデグロヅルはロシア北部で繁殖し、中国の鄱陽湖、インド北部、イラン北部で越冬するツルですが、日本にはまれに飛来し、ここ出水市では4年ぶりだそうです。全身が白で、翼の先(初列雨覆や初列風切)だけが黒ですが、幼鳥は写真のように茶褐色と白のまだらです。
私はツルと言えばナベヅル、マナヅルとタンチョウしか見たことがありませんでしたが、ソデグロヅルで4種になりました。カナダヅルやクロヅルなども見てみたいものです。

平成25年1月18日


高島
高島
平成24年8月19日(日)、益田西ロータリークラブ主催のふるさと探検隊でガイドとして高島(益田市土田町)へ渡りました。高島では船着場から高尾辻重畳の灯台までの登りましたが、その途中の北側斜面でオオミズナギドリの巣穴らしき穴を見つけました。また、オオミズナギドリの卵の殻らしきものも見つかりました。私は高校時代にも高島へ渡ったことがあり、その時には高島の西端にあるアナジ山の斜面でオオミズナギドリの巣穴を見つけ、中にいた雛を巣穴の外へ取り出して写真撮影しました。しかし、今回はふるさと探検隊のガイドとしての役割もあり、オオミズナギドリの雛を探すことはできませんでした。約40年ぶりにオオミズナギドリの繁殖の跡と思われるものを確認できたことは幸いでした。

【オオミズナギドリ】Calonectris leucomelas (Temminck)(脊椎動物門ミズナギドリ目ミズナギドリ科)夏鳥
全長約48cm、翼開長約120cm、体重約490gで、日本のミズナギドリ科では最大の種である。上面は暗褐色、下面は白色、頭部は白地に褐色の斑紋や斑点があり、嘴はピンクがかった淡青色、脚はピンクである。
日本海近海、黄海、台湾周辺などの西太平洋北部の温帯域の島嶼部で繁殖し、フィリピン、スリランカやオーストラリア北部周辺に渡り越冬する。日本では北海道の渡島大島から沖縄・八重山諸島の仲ノ御神島(なかのうがんじま)にかけての離島で繁殖している。2~3月に集団繁殖地へ渡来し、斜面にある森林に約1mの矛穴を掘り、枯れ葉などを敷いて、6~7月に6~7cmの卵を1個産む。雄雌交替で7~8週間、卵を暖め、雛は孵化後10~12週間で巣立ちする。
オオミズナギドリは地表から飛び立つことが苦手で、斜面を使って助走したり、樹上から飛び降りたりすることが多い。繁殖期以外は海上で暮らし、海面低く、ゆっくり羽ばたいたり、滑空しながら飛び周り、魚類や軟体動物などの獲物を探す。海面を泳いだり、潜ったりして、海面近くの獲物を捕らえる。

平成24年9月19日


今年も11月3日(火・文化の日)、益田市本町生き生き広場を中心に「益田七尾まつり」が行われました。祭りでは、蟠竜おどり隊のよさこい踊りや保育園児の鼓笛隊の演奏などが演じられた他、菅原道真が京都から太宰府へ流された時の道中を再現した大行司・小行司、中世益田氏の益田公行列、こども奴などのパレードがありました。

平成23年12月7日


益田七尾まつり

さる11月3日、「益田七尾まつり」が行われました。場所は、県道54号線(バス通り)の東は七尾城跡下の交差点から西は幸町の交差点までの約1kmの区間でした。この区間を歩行者天国にして、こども奴、益田大小行司、益田公行列等、中世に七尾城に君臨した益田氏に縁のバレードや、御輿、田植ばやし等の催しがありました。また、道の両側には露天が並び、駐車場等では石見神楽等も演じられました。益田七尾まつりは、益田市の中の旧益田と呼ばれる一地区の祭りですが、この地区は鎌倉時代から室町時代、戦国時代を経て安土桃山時代の関ヶ原の戦いまで益田氏の城下町だった中世文化の薫る街です。

平成22年11月12日


我が愛すべき益田川のライバル高津川河口で8月1日(土)午後8時から約1時間程行われた花火の模様。この間、3,500発の花火が打ち上げられ、多くの市民が見物に訪れた。花火が打ち上げられている間、川面では御神体を乗せた御座船を引いて提灯や大漁旗で飾った伝馬船が漕ぎ回る約300年続く神事「ホーランエー」が行われ、豊漁、安全を祈願した。私も一生懸命、花火の写真を撮ろうとしましたが、上手くいかず、こんな写真しか撮れませんでした。本物は、すごくきれいなので、来年は是非、見に来て下さい。

平成21年9月25日


桜

益田市街地を流れる高津川と益田川の内、東の益田川(あけぼの西町)の土手の桜です。西の高津川は、清流日本一に選ばれる程、水質が良く、鮎が生息しています。これに対し、益田川には水質汚染に強い鯉が多数生息しており、清流とまでは言えません。益田川の土手には桜並木が続き、あけぼの地区では、あけぼの振興会により、夜にはライトアップされます。

平成21年4月8日
もも
事務所に春のおとずれデス!!!
補助者のご実家より贈っていただいた珍しい桃の花。
一本の木に3色の花を咲かせて今、満開です。

一口メモ
「南京桃」は、中国原産の美しい八重咲きの花桃が、約150年前、伊丹の地に持ち込まれて育てられ、兵庫県伊丹市の特産品となったもので、一本の木に「赤」「白」「ピンク」の三色の花を咲かせ、あたかも大道芸の「南京玉すだれ」を思わせます。
「南京桃」は早春に播種し台木を膏て、2年目の秋”芽接ぎ”をおこない、更に、翌年の夏には”ねん枝(枝曲げ)”といった接ぎ木技術を駆使して、枝先を木の根本にワラで引っ張り釣り鐘のような形になるように、3年がかりで仕上げ、鉢に植え替えます。
平成21年3月17日

平成22年1月2日の同窓会へ参加された同窓生の皆さん、懐かしいひとときをありがとうございました。5年後に、また会いましょう。
なお、別添所在不明者リストの同窓生が未だ行方不明となっております。情報提供が可能な方は、下記連絡先または当ホームページのお問い合せまで、お願いします。お知らせいただいた個人情報は、同窓会の運営以外の目的には使用いたしません。

自然公園

蟠竜湖県立自然公園の鳥達
蟠竜湖県立自然公園で観察された鳥達

蟠竜湖県立自然公園

先月(平成27年11月)は、2度、蟠竜湖県立自然公園に行きました。
最初は、3日(文化の日)12時1分に東口駐車場を出発し、やすらぎの家の側を通って万葉植物園や水と青空の広場の入口近くをうろうろし、石の広場まで行って駐車場へ引き返しました。本来なら、もっと散策すべきでしたが、何しろ前々日に大阪淀川市民マラソンを完走して疲れ切っていましたので、急な登り坂は避け、ゆっくりと楽な道を選んで歩きました。途中、江戸時代の長州路と柿本神社への小間道の交差点にあった長門道指道標や、猿田彦大神の道祖神(旅人を守護する神様)の隣にある樹齢200年以上のスダジイにある神楽面に似たコブを見ました。
《平成27年11月3日に見かけた鳥達》12:01~12:55 晴れ 18℃
[タカ目]〔タカ科〕トビ
[スズメ目]〔カラス科〕ハシボソガラス、ハシブトガラス〔ヒヨドリ科〕ヒヨドリ〔ウグイス科〕ウグイス〔ヒタキ科〕ジョウビタキ〔ホオジロ科〕ミヤマホオジロ
以上2目6科7種
2度目は、23日(勤労感謝の日)です。昨日の義父の一周忌の法要のため長男と一緒に帰省した孫娘を連れ、車を中央駐車場に駐め、太陽の広場で遊ばせました。
《平成27年11月23日に見かけた鳥達》10:28~11:15 晴れ 17℃
[スズメ目]〔カラス科〕ハシブトガラス〔シジュウカラ科〕ヤマガラ〔ヒヨドリ科〕ヒヨドリ〔セキレイ科〕ハクセキレイ
以上1目4科4種

長門道指道標    スダジイ

平成27年12月3日

蟠竜湖県立自然公園

先月(平成27年10月)は、12日13時50分に蟠竜湖駐車場を出発し、蟠竜湖湖畔を歩き、オートキャンプ場内を登って、人麻呂展望広場へ到達したところ、14時47分に雨が降り出しましたので、そのまま万葉公園正面入口から出て坂道を下り、蟠竜湖駐車場へ戻りました。
なお、この日、見かけたハクセキレイの幼鳥は、顔が黄色でした。時々、こういうハクセキレイがいます。また、ツバメがおり、まだ南の国へ渡ってはいませんでした。
《平成27年10月12日に見かけた鳥達》13:50~15:00頃 曇り後雨 19℃
[タカ目]〔タカ科〕トビ
[キツツキ目]〔キツツキ科〕コゲラ
[スズメ目]〔カラス科〕ハシボソガラス、ハシブトガラス〔ツバメ科〕ツバメ〔ヒヨドリ科〕ヒヨドリ〔ウグイス科〕ウグイス〔セキレイ科〕ハクセキレイ 以上3目7科8種

ハクセキレイ

平成27年11月13日

蟠竜湖県立自然公園

先月は20日に、公園内の高津柿本神社を訪れました。益田市には、高津柿本神社の他に戸田柿本神社があります。戸田柿本神社は万葉時代随一の歌人柿本人麻呂の生誕の地ですが、高津柿本神社は人麻呂の終焉の地です。人麻呂は、大和から石見に下った柿本氏と、大和で代々、語部として柿本氏に仕えていた綾部氏の娘の間に生まれました。幼少時代を戸田の里で過ごした人麻呂は、成長すると大和に上り、宮廷歌人として天武、持統、文武の三天皇に仕えました。そして、人麻呂の歌は、万葉集に長歌16首、短歌66首も収められています。人麻呂は702年以後、石見の国府の役人として赴任し、三人目の妻として依羅娘子を娶りました。そして、益田川河口の沖にあった鴨島で71歳の生涯を終えました。鴨島には人麻呂を祀る神社が造られましたが、鴨島は、万寿(1926年)の大地震で海中に没しました。その後、再建されたのが高津人麻呂神社です。
9時20分、高津人麻呂神社下の駐車場に着いた私は、正面の石段を登り、本殿に到着して拝礼を済ませると、西側の車道を通って9時52分に駐車場へ戻りました。
《平成27年9月20日に見かけた鳥達》9:20~9:52 晴れ 20℃
[ハト目]〔ハト科〕キジバト
[スズメ目]〔モズ科〕モズ〔カラス科〕ハシブトガラス〔ヒヨドリ科〕ヒヨドリ〔スズメ科〕スズメ 以上2目5科5種

高津人麻呂神社下平成27年10月8日

蟠竜湖県立自然公園

当ホームページでは七尾城址のコーナーを設け、私が毎月、七尾城址を登り、七尾城址に棲む鳥類を調査しておりました。しかし、七尾城は山城であり、道には蜘蛛の巣があったりして、決して気持ちが良い場所ではなかったことから、毎月の登城を怠るようになってきました。そこで、益田を代表する場所で、もう少し良い場所はないかと考えていたところ、中世文化を代表する旧益田の七尾城址に対抗するものとして、柿本人麻呂の古代ロマンの薫る蟠竜湖一帯の自然公園の方が整備された遊歩道を持っていることから、蜘蛛の巣に災いされることなくバードウォッチングができるのではないかと思い当たりました。
益田市高津町にある蟠竜湖を中心として湖沼景観を主体とした公園を蟠竜湖県立自然公園と言います。蟠竜湖は、旧益田競馬場(現:県立西部高等技術校付近)で谷が海岸からの飛砂によって堰き止められた堰止湖です。面積は13ha、最大水深10mで、上の湖と下の湖に分かれ、丁度、龍の足跡のような形をした極めて肢節に富んだ湖岸線になっています。湖の周囲にはクロマツ林があり、東部には万葉の歌人柿本人麻呂縁の柿本神社や島根県立万葉公園があります。
これまでにも何回か、この公園でバードウォッチングをしておりましたが、今後は定期的にバードウォッチングを行い、ここに棲む鳥類を調べることにしました。そして、その手始めとして、平成27年8月16日(日)、万葉公園の中央駐車場に車を駐め、太陽の広場を通って蟠竜湖へ抜け、オートキャンプ場を通って、中央駐車場へ戻るコースを歩きました。探鳥結果は以下のとおりでした。
《平成27年8月16日》10:53~12:03 晴れ/曇り 28.9℃
[タカ目]〔タカ科〕トビ
[スズメ目]〔カラス科〕ハシブトガラス〔シジュウカラ科〕シジュウカラ〔ツバメ科〕ツバメ〔ヒヨドリ科〕ヒヨドリ〔ウグイス科〕ウグイス〔ヒタキ科〕イソヒヨドリ〔スズメ科〕スズメ〔セキレイ科〕ハクセキレイ、セグロセキレイ〔ホオジロ科〕ホオジロ
以上2目10科11種

平成27年9月24日

七尾城跡の紹介

七尾城趾の鳥達

七尾城跡地域に生息する鳥たちの紹介

七尾城「益田藤兼の墓」

七尾山中腹の住吉神社の南南西約300mには益田氏第19代当主益田藤兼の墓があります。
藤兼は享禄2年(1529年)に当地で生まれ、11歳で将軍足利義藤から一字を授けられ藤兼と称しました。初陣は15歳の時の第1次月山富田城の戦いでした。そして、翌天文13年(1544年)、祖父益田宗兼の死去に伴い、父尹兼を飛び越して益田氏の家督を承継しました。藤兼は大内義隆の家臣でしたが、天文20年(1551年)、陶晴賢が大内義隆に謀反を起こすと、益田氏と陶氏は姻戚関係であったことから、陶氏に協力し、義隆を自害させています。その後、天文24年(1555年)の厳島の戦いで、毛利元就が陶晴賢を破り、弘治2年(1556年)に元就の二男吉川元春が石見に侵攻すると、藤兼は七尾城を増改築し、三宅御土居から七尾城へ移り住みました。しかし、毛利勢には抗しきれず、弘治3年(1561年)3月、藤兼は降伏しましたが、吉川元春の口利きで助命されたばかりか、本領を安堵されています。その後、毛利勢の一員として尼子氏との戦いに参加し、永禄9年(1566年)の第2次月山富田城の戦いで尼子氏を破っています。そして、分家の三隅氏を滅ぼし、周布氏を従えて、勢力を拡大しました。藤兼は従五位上右衛門佐、越中守、治部大輔、従四位侍従などを歴任し、慶弔元年12月1日(1597年1月18日)に、その生涯を終えました。

平成24年10月1日

七尾城「医光寺総門」

七尾山中腹の住吉神社の北北西約800mには医光寺があります。昭和34年9月1日島根県指定有形文化財である医光寺の総門は、高さ4m、幅4.5mで、元々は七尾城の大手門でした。ところが1600年、益田氏が臣従する毛利氏が属する西軍が、関ヶ原の戦いで敗れ、益田元祥は毛利氏に従って山口県萩市須佐へ移封されたため七尾城が廃城となったので、その大手門を移築したものです。この医光寺総門の説明版には、次のように書かれています。
高麗門(こうらいもん)形式の門で、屋根は切妻造り(きりづまづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)、中央を高くし、両側を一段低くした構造になっています。
この門は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、益田氏20代元祥(もとよし)の長門国須佐(ながとこくすさ)への移住に伴い廃城となった七尾城の大手門(おおてもん)を移築したものと伝えられています。
七尾城の大手(城の正面)は、医光寺から向かいの南側に見える七尾城山の中央の谷あいと考えられています。南北朝時代には当時の大手口「北尾崎木戸」(きたおざききど)で三隅(みすみ)方との合戦があったことが益田家文書に残っています。
17世紀後半に屋根を改めたといわれ、全面の都市計画道路中島染羽線の整備に伴い、平成4年度に本堂から中門の延長線上に若干位置を移動し、解体修理が行われました。
構造、意匠とも簡素ですが、本柱(ほんばしら)、冠木(かんぎ)ともに太く、戦国時代末期の豪壮な城門の姿を残す貴重な建造物です。

平成24年1月13日

七尾城「住吉神社」

七尾山の中腹には、住吉神社があります。住吉神社は、七尾城築城とともに上府から一の丸に移されました。現在の社殿は寛文4年(1664年)に改築されたものだそうです。
「益田七尾山 住吉神社御神徳記」によると、祭神は底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)及び表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神並びに息長帯姫命(いきながたらひめのみこと)(神功皇后)を加えた住吉大神である。海の神、航海の神であることから、朝鮮や中国との交易があった益田氏が航海の無事を祈って祭ったものと思われます。
益田氏は氏の長者で摂政・関白を務めた藤原忠平(880~949年)の9世の子孫で石見守藤原国兼を祖としています。国兼は永久2年(1114年)に石見に赴任し下向しましたが、永久6年(1118年)に任期が終了しても石見に留まり、土着の豪族となりました。そして、当初は石見上府(浜田御神本)に拠点を構えて御神本氏と名乗っていましたが、4代兼高が建久9年(1192年)に居館を益田に移すとともに、益田氏を名乗るようになりました。住吉神社は、この時に上布から移され、現在に至っています。

平成23年11月30日

七尾城「千畳敷」

太鼓の段(壇)の北側には千畳敷と呼ばれる広い場所があります。千畳敷は西尾根の中で最も高く、かつ広い曲輪です。防御上、重要な曲輪であり、建物もあったと思われます。

平成23年10月28日

七尾城「太鼓の段(壇)」

厩の段の北側には、「太鼓の段(壇)」と呼ばれる場所があります。本丸や厩の段は東尾根にありましたが、太鼓の段は谷を挟んだ西尾根にあります。

平成23年9月16日

七尾城「馬釣井」

厩の段の東側には、「馬釣井」と呼ばれる井戸があります。馬釣井は七尾城内唯一の井戸であり、中世特有の円形の割石積の井戸です。直径1.2m、深さ4.5mの大きさです。七尾城には、馬釣井の他の飲料水源としては、2カ所の貯水濠があるだけであり、馬釣井は極めて重要な水源でした。

平成23年9月2日

七尾城「厩の段」跡

帯曲輪を西へ下ると「厩の段」と呼ばれる平坦部があります。厩の壇は、武士や家臣達が騎馬で登城した際に馬を繋いだ厩のあった場所です。山を削って造られた南北56m、東西15mの広大な厩の敷地は、石見最大の豪族益田氏の勢力の大きさを物語っています。

平成23年6月30日

七尾城「大手の帯曲輪」跡

二の段西側斜面の帯曲輪では、5m×21.7mの長大な礎石建物跡が発見されました。この建物は、遺物の量が少なかったことから、日常的に使用される建物ではなく、倉庫であったと推測されています。また、城の中心部に到達する大手の側面に建っていることから、防御施設としての役割も持っていたと推測されています。益田家文書では「19代藤兼が城内に11名の家臣を置き、大手の曲輪に1年間隠居して天正10年代に三宅御土居の普請が成就したので下城した」との記述があります。藤兼はこの辺りに住んでいたのかも知れません。

平成23年5月16日

七尾城「二の段」跡

七尾城本丸の北側にある「二の段」は本丸より約1m低くなっていますが、七尾城では一番広い場所です。二の段の北側には堀切があります。平成4年度からの発掘調査では、二の段の北端に2棟の建物の礎石列と庭園跡が見つかっています。また、中国や朝鮮からの輸入陶磁器や土師質土器(かわらけ)等、16世紀中頃から後半にかけての遺物が多量に出土しました。これは城内で酒宴が行われたことを物語っています。これにより天文20年(1551年)の陶晴賢の挙兵に関わった19代益田藤兼が、毛利氏の攻撃に備えて大改修して居住し、天正11年(1583年)に子の20代元祥と共に下城し、再び三宅御土居に居を移したという益田家文書等の記述が確認されました。

平成23年4月14日

七尾城本丸跡

七尾城の最高部に位置していた本丸は、標高約120mで、南側は堀切と土塁で守られ、北側には本丸に接して約1m低い「二の段」があり、その北側には堀切があります。この本丸と二の段が七尾城の主郭部です。本丸北側には瓦葺の櫓門があったことが、平成4年からの発掘調査で分かっています。
本丸跡には今は何もありませんが、ここからは城下が一望できます。また、私の母校である島根県立益田高等学校も見下ろすことができます。

平成23年3月1日

七尾城趾

我がふる里、益田市は中世「益田氏」の城下町として発展した町です。その益田氏の居城「七尾城」は、建久4年(1193年)に益田兼高によって築かれた山城です。本丸跡は標高118m、南北約600mの比較的大きな山城です。
陶晴賢と毛利元就との戦いの頃、当時の当主益田藤兼は陶側についていたので、毛利勢の攻撃に備えて弘治2年(1556年)頃、大改修を行いました。その後、益田氏は毛利に降り、その家臣となりました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍が破れると、毛利氏は防長2国に減封となり、七尾城主だった益田元祥は毛利氏に従って長門須佐(現:山口県萩市須佐)へ移り、七尾城は廃城となりました。現在では、大手門が医光寺総門として残っているだけです。
私は、ほぼ毎月1回、バードウォッチングを兼ねて七尾城趾に登っています。今月からは、この七尾城趾を紹介していきます。
初回の今月は七尾城趾の地形図を掲載します。

平成23年1月24日

益田の自然

益田は自然が豊であると良く言われますが、自然とは「人間の力が加わっていない、物事そのままの状態」を言います(旺文社「国語辞典」)。とすれば、市街地や農村集落、田畑はもとより、両岸をコンクリートで固められた川や、植林された山も自然ではないということになります。そして、私達のふるさと益田にも、自然は残っていないということになります。したがって、益田が自然豊かな町であるというのは間違いです。
しかし、自然には「人間を含む、宇宙・山・川・海・生物など天地間の万物。また、その生成・営み。」という意味もあります(旺文社「国語辞典」)。この意味ならば、益田のような田舎に限らず、東京のような大都会にも自然は存在すると言えます。そもそも、自然から人間を除外するなど、人間の思い上がりであって、人間も獣や鳥などの生物と同じ地球に生きる仲間であることを忘れた発想です。その意味では、都会に比べて多種多様な生物が暮らしている益田は自然豊かな町と言えると思います。
そこで、後の意味で自然豊かな町である益田の自然を紹介していきたいと思います。


  • スズメ

  • カワウ

  • コシアカツバメ

  • カワアイサ

  • コゲラ

  • アオサギ

  • セグロセキレイ

  • ハマシギ

  • オオバン

  • ホシハジロ

  • オカヨシガモ

  • ウミネコ

  • カワガラス

  • トビ

  • マガモ

  • カルガモ

  • カンムリカイツブリ

  • イソヒヨドリ

  • イソシギ

  • カワセミ

  • アトリ

  • カワラヒワ

  • カイツブリ

  • ハクセキレイ

  • クロサギ

  • ミサゴ

  • ツグミ

  • キセキレイ

  • モズ

  • チュウダイサギ

  • ゴイサギ

  • トラツグミ

  • キジバト

  • ツバメ

  • ノビタキ

  • キンクロハジロ

  • ヒドリガモ

  • ジョウビタキ

  • オオヨシキリ
  • シジュウカラ

  • マルガモ

  • ヒヨドリ

七尾城跡地域に生息する鳥たちの紹介

高島に生息するオオミズナギドリ

No 学名
















1 スズメ カラス ハシブトガラス Corvus macrorhynchos japonensis Bonaparte
2 ハシボソガラス Corvus corone orientalis Eversmann
3 カケス Carrulus glandarius japonicus
Temminck & Schlegel
4 ムクドリ ムクドリ Sturnus cineraceus Temminck
5 ハタオリドリ スズメ Passer montanus saturatus Stejneger
6 アトリ イカル Eophona personata personata
(Temminch & Schlegel)
7 カワラヒワ Carduelis sinica minor (Temminck & Shlegel)
8 ウソ Pyrrhula pyrrhula
9 アトリ Fringilla montifringilla
10 ホオジロ アオジ Emberiza spodocephala Pallas
11 ホオジロ Emberiza cioides ciopsis Bonaparte
12 ヒバリ ヒバリ Alauda arvensis japonica Temminck & Schlegel
13 セキレイ ビンズイ Anthus hodgsoni hodgsoni Richmond
14 ハクセキレイ Motacilla alba lugens Gloger
15 セグロセキレイ Motacilla grandis Sharpe
16 キセキレイ Motacilla cinerea robusta (Brehm)
17 メジロ メジロ Zosterops japonica japonica
Temminck & Schlegel
18 シジュウカラ シジュウカラ Parus major minor Temminck & Schlegel
19 ヤマガラ Parus varius varius Temminck & Schlegel
20 エナガ Aegithalos caudatus trivirgatus
(Temminck & Schlegel)
21 モズ モズ Lanius bucephalus bucephalus
Temminck & Schlegel
22 アカモズ Lanius cristatus superciliosus Latham
23 ヒヨドリ ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis amaurotis (Temminck)
24 ヒタキ ムギマキ Muscicapa narcissina narcissina Temminck
25 キビタキ Muscicapa narcissina narcissina Temminck
26 ウグイス ウグイス Cettia diphone cantans (Temminck & Schlegel)
27 オオヨシキリ Acrocephlus bistrigiceps Swinhoe
28 ツグミ トラツグミ Turdus dauma aurea (Honandre)
29 シロハラ Turdus pallidus Gmelin
30 ツグミ Turdus naumanni eunomus Temminck
31 イソヒヨドリ Monticola solitarius philippensis (Muller)
32 ノビタキ Saxicola toquata stejnegeri (Temminck)
33 ジョウビタキ Phoenicurus auroreus auroreus (Pallas)
34 カワガラス カワガラス Cinclus pallasii pallasii Temminck
35 ツバメ ツバメ Hirundo rustica gutturalis Scopoli
36 コシアカツバメ Hirundo daurica japonica Temminck & Schlegel
37 イワツバメ Delichon urbica dasypus (Bonaparte)
38 ブッポウソウ カワセミ カワセミ Alcedo atthis bengalensis Gmelin
39 キツツキ キツツキ コゲラ Dendrocopos kizuki shikokuensis (Kuroda)
40 ホトトギス ホトトギス カッコウ Cuculus canorus telephonus Heine
41 ホトトギス Cuculus poliocephalus poliocephalus Latham
42 フクロウ フクロウ アオバズク Ninox scutulata japonica
(Temminck & Schlegel)
43 ワシタカ ハヤブサ ハヤブサ Falco peregrinus japonensis Gmelin
44 コチョウゲンボウ Falco columbarius Linnaeus
45 ワシタカ ノスリ Buteo buteo japonicus (Temminck & Schletel)
46 トビ Milvus migrans lineatus (Gray)
47 ミサゴ Pandion haliaetus haliaelus (Linnaeus)
48 コウノトリ サギ アオサギ Ardea cinerea jouyi Clark
49 チュウダイサギ Egretta alba modesta (Gray)
50 チュウサギ Egretta intermedia intermedia (Wagler)
51 コサギ Egretta garzetta garzetta (Linnacus)
52 アマサギ Bubulcus ibis coromandus (Boddaert)
53 ゴイサギ Nycticorax nycticorax nycticorax (Linnaeus)
54 ガンカモ ガンカモ (ガチョウ) Anser anser var.domesticus
55 マガモ Anas platyrhynchos platyrhynchos Linnaeus
56 (アヒル) Anas platyrhynchos
57 カルガモ Anas poecilorhyncha zonorhyncha Swinhoe
58 オカヨシガモ Anas strepera strepera Linnaeus
59 コガモ Anas crecca crecca Linnaeus
60 ヒドリガモ Anas penelope Linnaeus
61 ホシハジロ Aythya ferina (Linnaeus)
62 キンクロハジロ Aythya fuligula (Linnaeus)
63 スズカモ Aythya marila mariloides (Vigors)
64 カワアイサ Mergus merganser merganser Linnaeus
65 ペリカン カワウ Phalacrocorax carbo kanedae Kuroda
66 ウミウ Phalacrocorax filamentosus
(Temminck & Schlegel)
67 カイツブリ カイツブリ カンムリカイツブリ Podiceps cristatus cristatus (Linnaeus)
68 ハジロカイツブリ Podiceps nigricollis nigricollis Brehm
69 カイツブリ Podiceps ruficollis poggei (Reichenow)
70 ハト ハト キジバト Streptopelia orientalis orientalis (Lasham)
71 (ドバト) Columba livia Gmelin
72 チドリ シギ イソシギ Tringa hypoleucos Linnaeus
73 ハマシギ Calidris alpina sakhalina (Vieillot)
74 チドリ コチドリ Charadrius dubius curonicus Gemelin
75 カモメ カモメ Larus canus kamtschatschensis (Bonaparte)
76 ウミネコ Larus crassirostris Vieillot
77 ツル クイナ バン Gallinula chloropus chinensis (Boddaert)
78 オオバン Fulica atra atra Linnaeus
79 キジ キジ キジ Phasianus colchicus versicolor Vieillof
14 32 79 65 15 24 24 30

益田川

益田川は、益田市美都町都茂の春日山北嶺に水源を発し、北西に下って益田市久城町と中須町の境界から日本海へ注ぐ、全長32km、流域面積127k㎡の二級河川です。
益田市中心部を流れるもう一つの高津川の方は清流日本一となって、脚光を浴びていますが、益田川の方はこれに比べて陰が薄くなっています。また、益田川と言えば、全国的には岐阜県にある飛騨川の益田郡金山町から上流部分の益田(ました)川の方が有名で、益田(ますだ)川の方は目立たない存在です。
しかし、高津川が旧浜田藩と旧津和野藩の国境を流れていたのに対し、益田川は浜田藩領を流れていたため、川を横切っての人の往来も多く、住民により身近な親しまれた存在でした。そのことは今でも変わりはなく、益田川は高津川に比べて橋も多く、その両岸に町が広がっています。また、川岸には桜並木などもあり、市民の憩いの場となっています。すなわち、益田川こそ益田市民に身近な存在であり、益田市民に愛され、益田市民と共に生き続けている川なのです。清流日本一ではなく、また二級河川ではあっても、益田川こそが益田を代表する川であると言うべきだと思います。
そこで、このコーナーでは愛すべき益田川を紹介していきたいと考えています。皆さんも、是非、益田川周辺へ遊びに来て下さい。

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